立ち止まり、視点を変えて、動き続ける 在本彌生
ことなるわたしたち
連載「ことなるわたしたち」のインタビューシリーズとして始まった「ことなるわたしの物語」。ひとりの⼥性のリアルな声や暮らしをお届けする16⼈⽬のゲストは、写真家の在本彌生さん。客室乗務員から本格的に写真家へと転身したのは33歳の時。写真家として約20年のキャリアを持つ在本さんは、55歳となった現在でも、国内、国外を飛び回り、息つく暇もない生活を送っているようだ。そんな在本さんにとって、“休息”というものは、存在するのだろうか?
『わたしと「休息」の設計図』を特集テーマに、彼女にとっての日々の暮らしのリズムの中から“休息とは”を紐解く。
これまでのキャリア

大学卒業後、客室乗務員としてアリタリア航空に就職。6年目の年、乗客の勧めで、コンパクトカメラを購入することに。
「当時の私の仕事はサービス業だったので、どれだけ仕事を積み重ねても、カタチに残るものがなかったんですね。元々、イタリアが大好きで、何かイタリアと関係性のある仕事に就きたいと思っていたので、客室乗務員の仕事自体は楽しくしていたんですけど、自分が過ごした時間を振り返るというか、何か形にできることというか、記すことができないかと考えだしていたんです。日記をつけてみたり、絵を描いてみたり。趣味程度で始めてみてはいたんですが、その中で写真を撮ってみたいという気持ちもあって。当時はスマホもない時代ですから、写真を撮るというのは少しハードルが高いことだったんですよね。そんな時、乗客の方から、手頃な値段で購入できるコンパクトカメラを教えてもらって。実際に手にしたら、勤務中以外の時間を使ってコンパクトカメラを持って移動するようになって、写真を撮り始めるようになったら、結構楽しかったんですよね」
休職制度を使って、自分を見つめ直しに
写真を撮り始めて1年くらいした頃、会社が休職制度を導入し始めた。在本さんにとってこれが大きなターニングポイントとなる。20代後半だった当時、在本さん自身がこのまま今の仕事を続けていけるのか、悩み出していた頃。このまま会社員として進んでいくのか、
今の職業のままでいいのか、と、ちょうど先のライフプランを見直したいと考えていたため、この制度を使って一度、仕事から離れてみることにした。

「その頃はまだ、写真を撮ることを生業にしようなんて考えていなかったので、カメラを持って趣味の旅行にいくことにしたんです。1年間、休職して、復帰して。その頃にはもっとカメラにのめり込むようになっていて。復帰してからしばらく経ち、30歳を超えた頃には、ワークショップに参加して、写真の勉強をするようになって。どんどん掘り下げていくようになりました」
個展や写真集を出版するなど、精力的に写真に対して動き続け、客室乗務員として、14年の月日が経った頃、在本さんは生業を写真家1本に絞り、フリーランスとして転身することを決意した。

「始めてからずっと、写真1本で生活できるかわからないという感じでやっていたんですが、この頃になると、両方やるのがすごく大変になってきて。それで写真を仕事にするという意思表示というか、その想いの形として、自分の写真集を作ることにしたんです。そう決めた時に、会社員を辞めるという決断も同時にしました」
暮らしのリズム。更年期への恐れ。
フリーランスのカメラマンは、オンとオフの切り替えがつきにくい職業でもある。現場では瞬発的な判断力が求められ、それ以外の日々は納品に向けて、新たなイベントや企画、スケジュール調整などに追われる。つまり、息をつく暇もなく動き、これまで時間を忘れる、しっかりお休みするという感覚がほぼない状態だったという。


「私自身はそうやって、動き続けていた方が調子いいんですよね。なので休息すること=何もしないという感覚ではないんですけど。大学を卒業してから、会社員であった時の仕事も、カメラマンの仕事も、国外をずっと行ったり来たりし続けているような人生だったのに、コロナになって、強制的に出歩けなくなって、仕事も減って、突然リズムが狂ったような感覚に襲われました。ちょうど50歳という更年期であったこともあって、体調的にも変わり目を感じた時期だったんだと思います。私の仕事は、どこかセンサーが働いていないとできないんです。この頃から、その感度が瞬間的に途切れるようなことがあって。それで、循環を良くすることをしっかりやっておかないとと思っていて、何か自分に課すことはできないかと考えてみるようになりました。その頃から、近所のピラティスに通うようになり、それが、オンの状態から切り離す、意識的に時間を忘れる場所となりました。レッスン中の50分間は自分の体に忠実になる時間。家からも切り離されるし、仕事の感覚からも切り離される。それが自分のことだけを考える時間になっていて、今でも時間がある日は欠かさず通っています」
リズムが崩れだしたら、自分のリズムを作れる環境を探して、チューニングしていくこと。それが在本さんの休息=リフレッシュできる時間だ。

「40代の頃も、たまに間抜けなポカをすることはあったんです。そういうミスが、50代になったら、もっと増えていくんじゃないかと不安にもなったけど、今はそうでもないと感じています。年齢によって体が変化していくのであれば、それをなるべく予測して、自覚的にコントロールできるように管理していけばいいと、次第に思うようになっていきました。更年期という期間は10年もあって、人生の中での10年というと、長い期間になりますよね。だから、その体に慣れていくには十分な時間があるな、と気づいたんです。急な変化ではないからこそ、少しずつその“乗り物”に慣れていく、順応するくらいの気持ちでいれば不安になることもないんじゃないかな、と今では思っています」
旅や習い事が人生にもたらすもの
コロナも明け始め、在本さんの仕事も段々と以前の頃のように海外の行き来を含めて移動の多い時間が戻ってきた。

「でも、以前と元通りという感じではないですね。それを気にし始めてもキリがないので、コロナ禍が少しずつ明け、海外にも行けるようになった頃から、目標を作って、動き出すことにしました。私の仕事は、仕事と思ってやっていることが、そうであるようでそうでない時もある。すごく曖昧な職業です。だから、何かを作っているという渦中に身を置いて、短期的でもいいから目標を作る。自分で自分のペースを作れば、社会のペースに惑わされることもないから」
そうやって自費での取材も重ね合わせながら、2年かけて作ったリトアニアの写真集を2025年の夏にようやく出すことができた。

「そこで改めて感じたのは、旅や、取材や撮影での移動中の時間って、すごい気分転換になっているんだなということ。それから、リトアニアや、ラトビアのような、国土が小さく、人口も少ない国に行くと、コロナ後の活気が東京とは全然違うということにも気付かされました。それは国内の地方でも感じることですね。そういう地域の人たちって、自分の役割を責任としてしっかりと持っていて、イキイキとこなしているように見える。私にはそれで社会が成り立っているように見えるんです。一方でどちらかというと都市部では、なにかスコンと明るくはなっていない。国土に対して人口が多い場所では、どうやったらそういう循環ができるのかな、と思うんですよね」
動き続けて、気持ちをリフレッシュする
祝日や連休が増え、育休、休職制度など、社会の“休む”制度は整い始めたものの、それでも休み方がわからない、休んでいるという感じがしないなど、完全に休まった気持ちでいる人はそれほど多くないように思える。
フリーランスの在本さんにとっての、休息の設計図とは、どんなふうに描いているのか?

「私にとって、それはかなり難しい質問になりますね。そもそも休むことが苦手だし、生活は不規則ですし、寝るのも得意ではないので(笑)。でも情報過多、つい情報を取り込んでしまいがちな生活の中でピラティスや旅など、限られた情報しか入ってこない時間を主体的に作っていくということは大事にしています。そういうことを生活のルーティンにすると、休みが必要だと思うようにならないようなコンディションになっていく。休むことを考えるより、その方が簡単かな。一旦止めて、気持ちを切り替えるということの方が私にとっては大事なことです」
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Profile
在本彌生
写真家。1970年生まれ、東京都出身。大学卒業後、1992年アリタリア航空に入社。客室乗務員として働く中、搭乗客の勧めにより写真を撮り始める。2003年初個展。2006年、旅先で撮影した作品をまとめた自身初の写真集を出版後、アリタリア航空を退職。以来、世界をまたにかけ撮影を続け、雑誌や広告などで活躍している。『MAGICAL TRANSIT DAYS』(アートビートパブリッシャーズ)、『わたしの獣たち』(青幻社)など写真集多数。2025年夏、リトアニアの美しい風景に魅了され、撮り続けた写真をまとめた『Lithuania, Lithuania, Lithuania! リトアニア リトアニア リトアニア!』を発売。