友だちは、作るものではなく、出会うもの。 紫原明子
ことなるわたしたち
連載「ことなるわたしたち」のインタビューシリーズとして始まった「ことなるわたしの物語」。ひとりの女性のリアルな声や暮らしをお届けする今回、18人目のゲストはエッセイストの紫原明子さんです。著書『家族無計画』で綴ったのは、既存のかたちにとらわれない新たな家族のつながり方でした。あるべき姿に縛られず、寛容さを大切にしながら人と関わってきた紫原さんにとっての交友関係とは? 今回はシーズン特集である〈おとなの「ともだち」〉をテーマに、紫原さんにとってこれまで社会を通じてつながっていった人たち、そして共に成長してきた小さな“社会”である子どもたちについて伺いました。
自我が邪魔をして、気持ちのいい友達付き合いができなかった学生時代

「10代の頃の私は、他の同年代の子たちに比べて異物感を強く感じていたんですよね。私自身も自分だけは違う存在なんだっていう自意識にとらわれていたし、狭いコミュニティを脱したいっていう気持ちもあって。実際に早くに結婚して、子どもも産んで、“学生”という括りからは抜け出しました。なので正直、学生時代の友達とはもう誰とも連絡を取っていないんですよね」
インターネットで知り合った元夫と18歳で結婚し、子どもを産み、長男が2歳の頃に、東京へと上京する。そこで初めて“ママ友”ができ、多くのことをサポートし合う中で、友だちという存在を知るようになった。

「“ママ友”は、はじめは新参者の私が一方的に情報を教えてもらったり、助けてもらったりするだけの関係性でしたが、育児という同じ目的を共有していて、互いに助け合っていこうっていう暗黙の了解が生まれていきました。気づいたら友達になっていて、いつしか戦友へと変わっていった。親子のセーフティーネットを広げていくような感じでもありましたね。」
当時、周りと比べて圧倒的に年齢が若かったという紫原さんだが、同年代のコミュニティの中で閉塞感を感じていた彼女にとっては、それがむしろ良かったのかもしれない。子どもたちの成長とともに、ママ友たちとは少しずつ疎遠になっていったが、無理に集まってつながり合いたいとも考えてはいない。また機会があれば自然と集まって、遠く離れていれば、元気にしているだろうと想うほど。

「この取材を受けて改めて“ともだち”のことを考えてみたのですが、友達って、たとえるなら “自然” みたいな存在なのかなと思うんです。自然と向き合ったとき、気持ちいいなとか、受け入れてもらえたなとか、この自然はちょっと荒々しいなとか、いろいろな感情が芽生えますよね。人の集まりやつながりも、まさにそんな自然現象に近いものだと感じています。例えばお金に困ったとき、自然がそれを工面してくれることはありません。自分がほしい言葉をかけてくれるわけでもありません。でも、ただそこにある星を見て“あっちに北極星があるから、こっちの方向へ進もう”とか、大木を見て、こんなふうにあろうとか、自分で自然から道しるべを見つけていくことはできます。私にとって他人というのは、みんなそういう存在だなと思うんです。その人のありようを目の前で見せてくれる存在。ママ友付き合いも、たしかにセーフティネットにはなってくれたけれど、ずっとつながり続けなければいけない関係ではなくて、ただ世界のどこかにその人らしく存在しているという感覚が自分を支えてくれる。それと比べると、家族とのつながりは、やっぱり少し違うと思います。夫と離婚したいとか、子どもの不登校をなんとかしたいとか、目の前の人のことを“どうにかしてでも変えたい”、そうしなければいけない、と思うときがどうしてもある。友達に対しては、私はあまりそれを感じないんです」
子どもたちは、私のベストフレンドになってはいけない存在

紫原さんにとって友達とは自然のような存在だが、一方で家族とは精神面において対局し合う関係性の違いがあった。その大きな節目となったのは、離婚と子育て。特に、長女の不登校においては精神的にも大きな局面となり、彼女にも、子どもにも変化と成長をもたらした。
「子どもたちに対して、友達感覚の付き合いはあるとしても、ベストフレンドになってはいけない、というのが私自身の一番の課題なんです。特にうちはシングルだから、子供と自分の間にもう1人の大人が入らない。だから、友達感覚だけではダメだと思っています。 うちは、お兄ちゃんは高校2年で高校を中退していて、娘は中1で不登校になりました。でも彼らのお父さんも高校中退だし、私も高卒だし、元々親が学校に不適応だったなと思う節もあって、“しょうがないかな”という気持ちもどこかにはありました。ただ、そうは思っていても、不登校と向き合うのはめちゃくちゃ大変だったんです。自分の人生の中でも、一番の精神修行だったと思います。 学校に行かない子に対して、押したり引いたりみたいな駆け引きを、実際にはやるわけですよね。不登校の子に対して“怒る必要なんてないよ”と口ではみんな言うけれど、その“みんな”というのは、その子の人生の責任を取らない人たちじゃないか、とも思ってしまう。もし私が“学校行かなくていいよ”と言ったとして、この子が本当に学校に行かなくなったら、そこから先、何をきっかけに社会に出ていくんだろう、とか。その足がかりを誰がつくるんだろう、と考えた時に結局、誰も周りは助けてくれないと思ってしまうから。やっぱり人生って、ちょっとだけ踏ん張らなきゃいけない時期が必ずあるじゃないですか。 優しくしてあげたいし、娘の意志を尊重してあげたい。でも、少しだけ背中を押せばもう少しだけ頑張れるかもしれない。その見極めは誰にも分からなくて、親である私が恐る恐る試していくしかない。だから、“なんとか週1でも学校行ったら?” “保健室だけでも行ってみたら?”と、優しく言ってみたり説教もしました。怒鳴ったこともあります。あの手この手でした。 “今、学校に行かなかったとしても、大人になるまでにはいつか自分で出て行ける場所を探さなきゃいけないよ”って。“新しい場所を自分で探すっていうのは、今よりもっと大変かもしれないよ”って。“今いる場所は、もしかしたらまだ見つかっていないだけで、自分がもう少し通ってみたら居場所になるかもしれない。学校に、もし教室に入れないんだったら、こことかここに行ってみる、とか、違うやり方で居場所を探してみたら?”って。 娘も頑張ろうとして、じゃあ自分の居場所をつくると言って、いろいろやってはみたものの、やっぱり結果的には行けなくて。思春期って、持って生まれた気質と、親が関わりながら一緒に育てていく精神力、その両方があるじゃないですか。どこまでが気質で、どこまでが教育なのかを見極める時期だなと思うんですけど、うちの娘は、何を言っても届かないんだな、と。そこで私が根負けしたのが、そのタイミングでした」

長女は学校を辞める代わりに、フランスへの留学を提案してきた。自分で、代理店を見つけ、面談を予約し、どうしても行きたいと意思を曲げない。その娘に根負けし、フランス留学が決まった。しかし時期は悲しくもコロナ禍と重なってしまう。理想とは違うフランスでの生活に、何度となく、娘の申し入れがあったそう。
「向こうでも苦労して、この学校じゃないと思う、今度はこっちに行きたいと思うとか。もうほんとに、次から次へと新しい場所を見つけてきては挑戦する。情報も全て自分で集めてきて、自分に合わない環境を脱して、適した環境を見つけ出すまでのエネルギーは惜しまない子どもだということが、この時、分かったんです」
娘が不登校になったことがきっかけとなり、娘の本質を知ったという紫原さん。高校中退や留学、子どもの色々なことが落ち着いてきた頃、紫原さんは「空の巣症候群 *①」の診断を受けることになる。
*① 空の巣症候群:子どもが進学・就職・結婚などで親元を離れたあと、親が「役割を失った」と感じて寂しさや喪失感、虚無感に陥る心理的な状態を指す。

紫原さんは当時の大変だった頃を振り返り、娘の留学や長男の独立によって初めての一人暮らしになったこと、同時にコロナ禍となり対人とのコミュニケーションが希薄化していったことなど、18歳から子どもたちと共に過ごしてきた当たり前の環境が、この頃に大きく変化していったと思い返す。SNSや連載コラムなどで、人とのつながりが完全に途絶えたわけではないものの、それが精神的な支えにはならなかった。
「私、困ったときに、あまり人に相談しないんですよね。お悩み相談の本とかは書いているんですけど、自分の悩みを誰かに解決してもらおうとは、全く思わないんです。その代わり、それまでの自分が知らない新しい価値観に触れるために、いろんなやり方でもがきます。行き詰まっている状態を打破するには、まったく新しい世界があることを知るしかないと思うので。それで、これまでも、自分から新しい出会いが生まれる場所を探してきました。でも、コロナになってからは、なかなか人に会えなくなってしまって。新しく誰かと自然に出会うことが難しくなったとき、精神的な支えそのものを求めているわけではないけれど、やっぱり、人と出会う場所とはつながっていたいなあと思うようになりました」
インターネットの外に出ていき、フィジカルなつながりを求めに。
そこで、2年前に外国人が9割のホステルの受付のバイトを始めることに決め、週2ペースで働くことにした。現在は観光に来る外国人のお客さんや世代の違う25~6歳のバイト仲間とのコミュニケーションが日々の楽しみになっているという。

「友人のSNSが急に炎上したこともきっかけのひとつだったのですが、インターネット上に書き込まれていく日本語が、すごく窮屈だなと思うようになりました。私自身も職業柄、SNSを使って発信はしていますが、インターネットにはすごく意地悪な書き込みをする人もいるじゃないですか。だからといって、彼らと張り合おうとは思わないし、不特定多数の人に向けて“自分は幸せだ”“自分が正しい”といったことを発信する必要もないんじゃないかな、と感じていて。 仮にそうした発信をすれば、その大切な場所を顔も知らない人々に土足で踏み荒らされることになるかもしれない。それで、SNSを全然やりたくなくなってしまったんですよね。ここには、つながりたいと思うような人が1人もいないなって。SNSで発信してきたことがきっかけで、誰かに見つけてもらって仕事になったこともありましたが、そういうある種打算的なビジネス以外に、もうここから得られるものはないような気がして。 それなら、インターネットの外に出てみよう、できれば日本語ではない言葉を使ってみよう。そう思って、今のバイト先を見つけて、履歴書を送って、面接を受けて。今では、そのバイト先も私の居場所のひとつになっています」
人生が豊かになるような“孤独”を楽しみたい
紫原さんにとって、“ともだち”とは、わざわざ作るものではなく、自分が動いたところの場所に結果として生まれる“現象”である。

「友人関係や親子関係のことをこの場で話していて、私はそもそも常に人と一緒にいたいタイプでもないので、“人とはちょうどいい距離感を持ったほうがいいんだろうな”と改めて感じました(笑)。今は長女も日本に帰ってきて大学に進学し、長男も自宅に戻ってきて、長男の彼女も含めた4人で共同生活をしています。振り返ると、18歳で子どもを産んでから、“ひとり”という時間とちゃんと向き合ってこなかった気がするんですよね。自分が豊かになれるような“孤独”みたいなものが、本当は人生の楽しみ方としてあるはずなのに、まだそれが何なのか自分ではよく分からないというか。うまく一人になる方法が分からないから、これからは少しそこにも挑戦してみようかなと思っています。 もぐらの会*②の元メンバーが今、奄美大島に住んでいるんですが、近々その人に無人島へ連れて行ってもらう旅を企画していて。無人島にひとりで置かれて、テントを張って、その島で一人の時間を過ごしてみる。そんな旅を計画中です」
*② もぐらの会:紫原明子さん主宰。少人数で集まり、日々の悩みやモヤモヤ、生きづらさを安心して言葉にし合うことで、自分と他者、そして世界との関係をゆっくり掘り下げていく対話コミュニティ。
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Profile
紫原明子
1982年福岡県生まれ。エッセイスト。著書に『家族無計画』(朝日出版社)、『りこんのこども』(マガジンハウス)、『大人だって泣いたらいいよ 紫原さんのお悩み相談室』(朝日出版社)。2016年よりエキサイト社と共同でWEラブ赤ちゃんプロジェクト「泣いてもいいよ」ステッカー配布を開始。2019年より対話コミュニティ「話して、聞いて、書いて自分を掘り出す もぐら会」主宰。